Updated: May 19, 2020

Kさんは筆者が見てもコミュニケーション能力に長け、日本語能力も優れ、姿勢は前向きで向上心が強い女性です。 典型的なアメリカ人のように明るく、朗らかで、楽観的でありかつ、飲み会などの日本的付き合いにも積極的に参加しているようです。
当然、職場でも人気があるようで、同僚(というか入社年次では先輩)の女性社員たちからは“お母さん”と呼ばれるほど頼りにされ、社長からも社長自身が勝手につけたニックネームで呼んでもらっています。専務からは筆者に「とても良い人材を紹介いただいた」とわざわざ感謝のメッセージが送られてきました。
ところが、なのです。
彼女との月一度の定着面談のコンサルティングでは1時間以上休みなしにのべつ幕なしに話してきます。また、面談とは別に、筆者の携帯に多い時は月に2-3度電話がかかってきて色々と悩みを聞くこともあります。 電話も1回あたり30分から1時間は話を聴き、適宜アドバイスをすることが多いです。
あれだけ明るく朗らかで、かつ日本文化やビジネスに慣れているように見えても育ちはもちろん生粋のアメリカ人であり、毎日異文化との葛藤をストレスとして溜めこんでいるようなのです。

「なぜ自分の名刺にはタイトルがないのですか? アメリカ人との交渉に参加するように言われ参加して貢献したのですが、相手からは自分の立場が不明と思われています」(このタイトルとは「役職」の意味ではなく、どのような機能や役割を果たしているのかを端的に表すもの。彼女の場合、アメリカ人に対し自分のことを「マーケティング・コーディネーター」と説明しようとしている)といった疑問や、「出張や会議に突然招かれるのですが、自分が参加することの目的や、周りからの期待値がわかりません」といったもの、或いは「上司が同僚の女性にはカジュアルな言葉遣いなのに自分にはフォーマルなのはなぜですか」といった些細なことまで色々と尋ねてくるわけです。そして、職務記述書の内容と実際の業務の乖離や、評価・処遇のこと、研修制度などいわば決め事についての疑問や懸念もいろいろと出てきます。
それでは彼女は筆者が紹介した会社への就職に不満なのかといえば全く逆で、総論では少なくとも今のところは「大変満足」しているのです。会社の上司も同僚も工場の人々や人事や総務の人々も皆例外なく親切で、優しく、思いやりにあふれ、いつも自分のことを気にしてくれ、気を遣ってくれると語ります。職場環境に何ら不満はないわけです。一方で、彼女の違和感は筆者が察するに、「会社は特定の目的のために集まった集団であり、自分も一人のプロとして期待されているはずであり、プロとして扱ってほしい」ということのように感じます。 これはとりもなおさずアメリカの企業が社員をそのように見ているということです。 日本のように配属先のチームカラーに染まるべくまずはOJTや先輩の手伝いでチーム業務に慣れ、己の疑念や疑問はさておきまずは先輩に言われる通り経験を重ねていくというアプローチとは全く異なるわけです。
かてて加えて、外国人ですから、職場で違和感を持つときに、それが異文化のせいなのか、あるいは自分が外国人だから見えていない、聞こえていない若しくは気づけないところがあるせいか、単に能力がないからなのか、日本語が下手だからなのか、不安に感じやすいわけです。
日本人社員の場合は黙々と仕事を続け、慣れていくケースが多いのでしょうが、外国人材の場合は「何のプロになってもらうか」を意識し、そこに向けた「言葉による説明」が必要になります。
仕事を任せるにしても、会議や出張に招くにしても、その目的や狙い、期待値といったものを予め説明し、終わった後には一緒に振り返って評価してあげることでそういった外国人材特有の不安な思いをやわらげ、自信と自己効力感につなげてもらえると思います。
日本人だけの職場に欠ける傾向のあるコミュニケーション、説明責任、そして評価(透明性、公平性)を、外国人材採用を契機として意識的に増やしていけると良いですし、それはとりもなおさずグローバルビジネス環境づくりへの大切な一歩となると思います。