起業家精神を発揮し続ける松森社長
Updated: May 14, 2020

当社の初めての外国人材紹介はあるユニークな事業家松森さんとの出会いからでした。
日本の大学を出た後のドイツ人の女性を紹介しました。
現在、印鑑や名刺、印刷、文具などを扱うショップを全国的に展開するフランチャイズチェーンを経営されている松森社長の事業歴はユニークです。
沖縄の人に曰く、「日本」に戻ったならば「実印」が必要になりますよ。今ならお安く販売します・・」
長崎で高校まで過ごされ、東京での大学生時代にたまたまバイトではんこ屋さんに勤めていたそうです。
1972年にニュースで沖縄返還の話を知り、単身沖縄に乗り込み、チラシを撒いたそうです。
「曰く、「日本」に戻ったならば「実印」が必要になりますよ。今ならお安く販売します・・」といった内容だったそうです。
単純な内容にもかかわらず、その場で予約が殺到したそうです。

その反応の良さに満足して帰京するのが凡人とするならば、松森社長の真骨頂はそこですぐにヘリコプターをチャーターし、空から大量のチラシを撒いたところにあります。
その結果は手で一枚一枚配る場合の何百倍、何千倍もの効果であったようで、なんと今から46年前にも拘わらず、億円単位の前金をキャッシュで東京に持ち帰ったようです。

その時の聖徳太子(一万円札)の束の重かったことを昨日のことのように話されます。
今では事業家の典型のように見える松森さんですが、上記の武勇伝を為した後、大学を卒業してなんと普通のサラリーマンとして就職したそうです。
ところが持ち前のバイタリティでバリバリ働いていたあるとき、突然上司から呼ばれ、「もうそれ以上働くな」と言われたそうです。

残業代を懸念したのか、労基局を恐れたのかわかりませんが、「サラリーマン」という宮仕えの職業の限界を感じ、松森社長はサラリーマンを止めました。
徒手空拳ではありましたが、バイト時代の強烈な成功体験をベースに自分のハンコショップを始めたのが30歳頃だったそうです。
そして彼の事業欲とアントレプレナーとしての発想力がここでまた開花します。
如何に短時間で事業をスケールアップできるかを考えていた時に、アメリカで流行りだしていたフランチャイズ事業というビジネスモデルに出逢います。
そこで、このフランチャイズの詳細について徹底して勉強した後に、自ら多店舗展開に打って出られました。
直営店を10店舗以上構えていきつつ、並行してフランチャイジーを募っていき、今や計150店舗を優に超える全国チェーンに発展させられました。
また、M&Aの手法も学ばれ、小規模ながら好条件の立地にある他社のチェーンを居ぬきで買収し相乗効果を挙げられています。

そして今や、ハンコとは全く別の「食パン」のチェーンを始めつつあります。
Mさんの仕事の進め方、優先順位は常に明快で迷いがありません。
同様に彼の人生における優先順位もクリアです。あるとき、彼が「沈没する船でまず誰を助けるか」というシチュエーションを例に説明してくれました。
まず真っ先に奥様を助けるそうです。そして余力があれば親を、さらに余裕があれば子供を助けるという順だそうです。
もちろんお子さんは成人しておられます。これは松森さんによる扶養義務ということよりも相互依存の強さということを強調されていたと思います。
次回から松森社長への外国人材紹介の話に入っていきたいと思います。